当時のライブの様子
本日はまだヴィジュアル系色の強かった頃のライブについて書こうかと思います。
(GAIAくらいまでかなー?)
まず初期のライブについてですが、いわゆるファンのメイクが凄かったのを覚えています。
そして圧倒的に女子が多い!
この部分が結構最初はきつかったですね。
Janneファンとして行ってるのにアウェー感満載、それでもなるべくライブには参加しましたけど。
X JAPANのファンの方は割とわかりやすいメイク(髪が逆立っていたころのtoshiやhide)でしたが、Janneは真似をしている方もいましたがなぜかゴスロリ系のファッションが多かった印象があります。
ただライブが始まったら関係ない!と思っていましたがやはり最初は委縮していました(笑)
だって横にいるゴスロリの恰好をした子が曲が始まった途端ものすごいヘドバンしだすんですよ!
凄いなーと思う反面本当にJanneを好きなんだなと思って嬉しかったのを覚えています。
当時はSNSなんてない時代だったので、ファンの方達と会う機会ってライブぐらいしかなかったんですよね。
そういうのもあってアウェー感があっても参加して良かったと思ったのがとても印象に残っています。
ライブに関してはAcid Black Cherryと違うのは楽器隊のソロがあることですね。
昨日も少し触れましたが、楽器隊の上手さは当時から言われていましたが、実際生で聞くと、ka-yuとshujiのリズムの安定感、youとkiyoのメロディの緩急や激しさ、すげーのひとことでした。
あそこまで技術がないとインディーズ時代にあそこまでの曲は出来上がらないんだなと思いました。
あとひとつ違うところを上げるとしたらやはりソロではなく5人のバンドなので、お互いの距離が当たり前ですが近いのは感じましたね。
その5人の掛け合いがライブの魅力の一つだったと思います。
生のライブを見ることはもう叶わなくなりましたが、それでも当時の事を思い出したりDVDを観たり、ブログで文字に書き起こす事で少しでもJanne Da Arcというバンドがあったということを知ってもらいたいというのが今の率直な気持ちです。
書いてたらDVD観たくなってきたので今回はこの辺りで締めようと思います(笑)
次回は今回書けなかったJanneがセルフプロデュースになってからの事を書こうと思います。
少しづつ認知され始めた頃
前回は初期のJanneについて書きましたが、今回は中期、少し売れ始めた頃のことを書こうかと思います。
will~地図にない場所~→ドラマ「つぐみへ… 〜小さな命を忘れない〜」の主題歌として使われる。
その後Mysterious、Dry?、Neo Venusとリリースしていきますが、どの曲もオリコントップ10に入らず少し停滞していた印象があります。
私はDry?なんかは好きなのですが、やはり歌詞に刺激があるので民放では使いづらかったのでしょう。
そんな中9thシングル「seed」からプロデューサー岡野ハジメさんが担当することが決まり、その影響からかメンバーのメイクが薄くなっていきました。
また事務所の力か岡野さんの力か分かりませんが、この曲で初めてHEY! HEY! HEY!に出演しました。
私個人としては、やはりテレビでJanneを見れることにとても興奮していたことを覚えていますが、売上枚数はほぼ変わらず化粧も薄かったことから世間の方への印象は薄かったんだろうなと思います。
思い切ってがっちりメイクをして出演したほうがインパクトが残ったような気がしますが‥
その後、シルビア、feel the windとシングルをリリースしますが、この頃からプロデューサーの影響か
「ヴィジュアル系からカジュアル系」
と呼ばれるようになりました。
この頃のJanneの曲は個人の意見としては一番当たり障りのない曲だと思っています。
(要するに万人受けする曲→おそらくJanneファンが求めていない歌詞、やメロディー)
このようにバンドの方向性が変わった結果かどうかは分かりませんが、12thシングルShining rayで日本を代表するアニメONE PIECEのエンディングの主題歌に起用されます。
オリコンも初めてTOP10入りを果たしこの曲でJanne Da Arcを聴いたという方もおおいのではないでしょうか。
有名なアニメのタイアップとして起用され嬉しい反面、個人的には「Janneらしさ」がどんどん薄れると感じていたことを覚えています。
マリアの爪痕で少しJanneっぽい曲調に戻った感じがありましたが、霞ゆく空背にして、Rainy~愛の調べ~、餓えた太陽とらしくない曲のリリースが続きましたが、Rainyを除けばオリコンではTOP10入りを果たしています。
うーん、今思い返してもやはりJanneらしくない!と改めて思いますね。
この頃はカップリング曲の方が楽しみにしていた記憶があります(笑)
ただ、メジャーデビューするということはやはり会社に所属する=売り上げを上げないといけない、このことも事実としてあるのでしょうがない部分もあったのだと今は思います。(当時はまたこういう系の曲かと正直思っていました)
ただインディーズ時代の曲も含め、今も思うのは楽器隊の演奏の上手さは本当に凄いです。
ライブDVDの副音声でメンバーが解説しながら見れるDVDが何本かありますが、(最初は男尻Night)でも言ってますが、自分達で作った曲なのに演奏するのがしんどいと言ってました(笑)
それぐらい高い演奏力を持ったバンドだと今でも思っています。
らしくないJanneの曲が続いても演奏力の高さに魅力を感じ応援し続けライブにも参加していたのかも知れません。
長くなりましたので今回はここら辺で終わろうかと思います。
次回はセルフプロデュースに戻ってからと、当時のライブの雰囲気について書こうかと思います。
デビュー初期のJanne
昨日のyasuのコメントに続き、you、kiyo、shujiの3人も連名でコメントが出ましたね。
解散の事は前回書きましたので今回は題名通りJanneの初期の事を書こうかと思います。
デビュー後のJanneですがデビュー前は、
「ヴィジュアル系の最終兵器」
という触れ込みでデビューしたのですが、ジャンル的にもやはりコアなファンしかおらず、なかなか万人受けするバンドではありませんでした。
2ndシングルLunatic Gateこちらはゴールデンタイムに流せるような歌詞ではありませんでしたし、3rdシングルEDEN~君がいない~ではメジャーデビュー後初めてバラード調の楽曲でしたが、やはりテレビで見ることはありませんでした。
ただavex所属ということもあってか何かしらの番組テーマ曲に使われていたことは記憶しています。(当時のavexはそれぐらい影響力が強かった!)
私個人としてはEDENはテレビで一度は聞いてみたかった曲でした。
この曲はyasuの当時の環境が結構反映されています。
EDEN→メジャーデビュー→東京へ上京
虹→これはyasuが今でも愛しているラルクのhydeを指しています。
(L'arc~en~Ciel=虹という意味です、スペルは違いますが)
鳥→当時付き合っていた彼女です。yasuは自分の夢、目標を達成させるために彼女との別れを選んだそうです。
ただ綺麗な歌詞ではなくyasuの覚悟を感じ取れる曲だと思います。
良ければ歌詞のURL貼っておくので上記を見ながら曲を聴いていただければまた違う印象になるかと思います。
https://www.uta-net.com/song/16254/
前にも触れましたが、ただただ綺麗な言葉を並べてメロディーを奏でるよりも、こういう歌詞の方が私には染みます。
大好きな彼女と自分の夢、天秤にかけると言うと語弊があるかもしれませんが、苦しみながら彼女へ別れを告げた瞬間、まだ成功するか分からないのに夢を選んだyasuの苦悩が想像でき、初めて聴いた時悲しくなったのを覚えています。
その後何曲かリリース後ツアーFATE or FORTUNEを開催。
このライブは1stアルバムD・N・Aを中心とした楽曲で構成されました。
恐らくD・N・Aというツアーにすると曲数が足りないためこのようなツアー名になったのでは(笑)
私もこのライブに参加しましたし、DVD化もされております。
ただやっぱり駆け出しのバンドということもあり、DVD収録日は1月3日!
世間は正月休みですね。
まだ実力がないバンドは、こういう時しか武道館でライブ出来ないんだろうなと子供ながらに思いました。
そしてこの時のライブ、楽しかったですがCDの修正技術はすごいなと感じた日でもありました。(これ以上は触れませんが‥)
そして確かこのライブが初武道館だったと思います。
少し記憶が曖昧なので間違っていたらすいません。
ここから少しづつJanne Da Arcというバンドの楽曲に変化が起きていったと私自身は感じていますが、今回はこの辺りで締めようと思います。
次回はそこそこ売れ始めたJanneの事を書こうかと思います。
解散後yasuの初コメント
本日解散発表後初めてyasuがコメントを出しました。
詳しい概要はURL貼っておくので良ければご覧ください。
色々な方がTwitter等でコメントしていましたが、中には
「yasuはもうJanneを復活させる気がなかった」等のコメントを見かけましたが、私の認識としてはそれはないと思います。
確かに文面だけを読めばそう取れるかもしれません、でもyasuはいつもファンの事を一番に考えてきましたし、復活させる気がなかったのであれば
「Janne Da Arcヴォーカルyasuソロプロジェクト」
と毎回記載する必要はなかったと思います。
このような肩書がなくてもyasuは成功していました。
ライブでJanneの話題を出さなくてもよかったですし、ライブにメンバーを呼ぶ必要もないです。
恐らくyasuが出した文面の、
「Acid Black Cherryを始めてからJanneの音源を持ってない」
という部分でそう思った方もいるかと思います。
yasuはこれ以上は何も書いていないですが、応援してきた身として言えることは、yasuはその時来てくれたファンに必ず全力で答える人です。
Janneが大事じゃなくなったわけではなく、Acid Black Cherryとしてソロでやると決めた時、自分で決めたから、Janne Da ArcではなくAcid Black Cherryを見に来てくれたファンだからに全力で応えようと考える人です。
Janneがメジャーデビューが決まってメルパルクホールで流した嬉し涙、初めて夢だった大阪城ホールでライブが出来た時の涙、QEDで喉が限界を超えていたのにファンのためにライブをして終わった瞬間に安心して流した涙、すべてファンのための想っての行動だと思います。
yasuは言葉で自分の作った作品を説明するのを嫌います。
それは自分の言葉で説明するとその言葉が正解となり、ファンの受け止め方が色々あるはずなのにその言葉に染まってしまうからです。
人によって色んな受け止め方をしてほしい、感じてほしいのだと思います。
今回の発表した文面もそういう思いもあってあのような表記になったのだと思います。
だから私も私の主観を押し付ける気はないですし、他の方のコメントを否定する気は全くございません。
ただ、こういう見方をしている人もいるのだと知っていただければ幸いです。
今回はこのあたりで締めようと思います。
次回はまた、Janneの初期の曲について書いていこうと思います。
Janne Da Arcとは
一日空いてしまいましたが、今回は自己紹介も兼ねて私がなぜJanneファンになったか書こうかと思います。
まずJanneを知ったのは高校性の時です。
当時は歌姫ブームで浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、アイドルではモーニング娘。等の全盛期でした。
CDを出せばミリオンヒット(今とは時代が違いますが)とものすごいエネルギーのあった時代だと思います。
その時の私はというと、もちろん聞いてはいました。
ただ、どうしても自分の中に歌詞や歌が100%入ってこなかったというのが正直な所です。
なぜか?恐らく今も思っていますが、自分で作詞作曲をしていない曲で売れるというのがあまり理解出来なかったのかなと思います。(宇多田ヒカルは作っていましたが)
小室哲也なんかは分かりやすいかと思います。
彼はTMNetwork解散後、自分の曲をアーティストに提供しtて地位を確立し、90年代のミリオンヒットの作詞作曲には毎年名前があります。
※あくまでも私の個人的に考えとして見て頂ければ幸いです。(気分を悪くされた方にはお詫びします)
また元々ロックが好きだったので、授業中によくMDで(年齢ばれるかなw)X JAPANやBOOWY、LUNA SEA、を聞いていました。
ただ私が聞いていたバンドは、当時全部解散していました‥(現在は復活してるバンドもありますが)
そんな時ヴィジュアル系が好きな友人に相談したところ、今度こんなバンドが出てきたと教えてもらい、それがJanne Da Arcでした。
一言衝撃を受けました。
当時は万人受けする曲がいくらでも流れていた時代、こんな時代に逆行するような歌詞、曲、全てが自分の中でフィットしました。
もちろん歌番組に呼ばれるわけもなく、CMも流れても深夜だけ、肩書はavex所属という事だけ、当然知名度が上がるわけはありませんが、それでも私が求めていたアーティストはこれだと最初から思いました。
歌詞を見ても大半の方は何とも思わない、そんな歌詞でしたがボーカルのyasuがいつか言ってましたが、綺麗な歌詞を自分がやらなくてもいい、聴いた人全員に刺さらなくても何人かが共感出来る、そういった考え方で曲を作っていると言ってましたが、まさに私はその刺さった方でした。
デビュー曲はRED ZONEという曲ですが、大体の方は曲名でスルーするかと思います。
意味分からないですもんね(笑)歌詞もどちらかといえば少し下品と感じる方が多いでしょう。
でもそこに人間味というか、yasuという人間がこういう音楽がやりたい、売れるために曲を作るバンドをやりたくないというメッセージを感じて一発でファンになりました。
もうひとつだけJanneの良い点を挙げればそれは
「メンバー全員が作詞・作曲している」
という点だと思います。
自分で曲を作れば全部ではなくても作った人の歩んできた人生というのは反映されると思います。
実際そういう曲も何曲もありますが今回はこの辺で締めようと思います。
長文ですが、読んで頂いた方いらっしゃいましたら御礼申し上げます。
Janne Da Arc解散
初めまして。
題名の通り、Janne Da Arc解散が4月1日発表されました。
ずっと応援、人生を支えてもらってきたバンドの解散を機にブログを始めました。
Janneを20年以上応援してきた身としては全く信じられず、2019年初頭には
「今年でメジャーデビュー20周年だから復活する」なんて思ってました。
詳しい事はホームページでも書かれていませんでしたが、ka-yuが訴えられた事がきっかけで脱退、解散の流れになったようです。
yahooトレンドでも上位に入っていましたが、ファンはやはり信じられないという声が多かったですね。
また活動休止の原因もyasuとka-yuの不仲と言われていましたが、この部分に関しては今でもあまり信憑性がないと私は思っています。
というよりネットで書かれていることを鵜呑みにしたくないというのが一番の本音かもしれないですけど。
ひとまず、初めてのブログなので今回はこのあたりで締めようと思います。
次回以降ファンになったきっかけや、解散してもこんなヴィジュアル系バンドがあったと少しでも知らない人に伝えていければと思います。